投稿に対する気持ちと摂食障害の始まりについて

ご無沙汰

だいぶご無沙汰してしまった。

 

ブログの投稿について思うこと

私が投稿し続けられなくなる原因は一つ、

’おこがましい’という感情が湧いてくることだ。(これがまたややこしい)

他にももっと大変な経験をしている人がいる、

もっと有益な情報を発信している人がいる、

自分なんて…。

”自分のための記録として残そう”という主旨のはずなのに、

結局は人のことを意識してしまう、承認欲求の塊人間とは私です。

 

何事にも邪魔になるプライド

私はプライドが高い。高いだけでなく自分が「嫌い」と言いながら

目立ちたがり屋で、もしかしたらめっちゃ「好き」なのかもしれない。

こんな自分の性格は気持ち悪い。

そもそも、ただの凡人/一般人である自分の戯言なんて誰も興味ないぞ。

そう思うのに、誰のためになるのか?そう考えていること自体がおこがましい。

 

摂食障害について

私は高校生の時に”摂食障害”と診断された。

経緯は人それぞれだし、他の摂食障害の人の話を調べたり聞いたりすると

自分の症状は軽いように思えてくる。

でもきっとこれは、人と比べて競い合うようなものではない。

「もっと大変な人もいる」と考え落ち込むこともあるけど、

一方で「同じように悩んでいる人がいるんだ、自分だけがおかしいわけじゃない」

そう知るだけで少し楽になるときも、少なからずある。

 

摂食障害の始まり

どうして私は摂食障害になったのか。

始まりは中学3年の秋頃だったと記憶している。

それまでの私は、人と比べて落ち込むこともあったが

比較的自己肯定感が高かったように思う。

そんな私が急に「死にたい」とかそんな感情が浮かんできたのはちょうどその頃。

 

失恋とダイエット

引き金になったのは ”失恋”。

…我ながら情けない。

そして周りの友達が”ダイエット”に興味を持ち始め、

「痩せたら可愛くなる」と思い始めたことだ。

行動に発破をかけたのは、自分の状況。

駅伝大会に出場するために練習をしていた時期であり、

親に食事量を指摘されたら「痩せたら速く走れるようになるんだから」

そう言い返し食事(特に夜)を徹底的に減らしていった。

無意識の恐怖と達成感という快感

今思えば食事を減らし始めて2,3カ月後にはすでに

「決めた量よりも多く食べる」ということに無意識ながら

”恐怖”という感情が芽生えていたように思う。

 

そして3カ月程経つと周囲の人から「痩せたね」と言われるようになった。

(田舎で育ったので、スーパーに行くと知り合いに遭遇する、そんな時)

走るタイムも伸びた。

「結果が出ている…!」その快感が私にはたまらなかった。